パーキンソン病 最近の病状

日々少しずつ寒くなり、明日は12月。備忘録の意味で現在の病状と対応を箇条書きにしておきます。

・右の手足のふるえは相変わらずで、酷い時は右手首から先が左右に5cm幅ぐらいで振幅する。右足も足首を起点に同じような振幅をする。振幅は以前より大きくなってきている。

・時々、右足指全体が内側に巻き込むときや逆に反るときがあり、右手は虫などに指を刺されて倍ぐらいに腫れたときのようなジワーとした動かない感覚になるときがある。

・更に、右足をひきずるようなカクカクした歩き方になっている。

・右利きではあるのだが、日常的には右指先がうまく動かせないので、歯磨き、車の運転、おしり拭きなどは左手で行っている。箸、包丁、マウスは右手で使えているが、ノートパソコンのポインティングデバイスは左手しかうまく使えない。シャツの左袖のボタンを留めたり外したりするのがなかなか困難である。

・疲れやすいのは変わらない。加齢もあるが回復にかなり時間がかかる。

・今までなかった便秘の症状がたまにある。

対応は、「ドーパミンプラス」を朝起きて1カプセル飲んで朝食、昼前に1カプセル、昼食後少しして「ネオドバストン」25mgか50mg、これは食事の内容とその時に症状によって量を調整、その後夕方と夜に「ドーパミンプラス」を各1カプセル飲んでいる。調子のいい日は「ネオドバストン」を飲まない日も多い。


パーキンソン病とゴルフ 初め

ゴルフは大好きで、始めたのは25歳のとき1981年でした。仕事がデスクワークでしたので肩こりが酷く、父がゴルフの練習でもしてみたらとゴルフクラブをくれました。そのころは大阪市内に住んでいましたが、近所に自転車で行ける所に練習場があったので見よう見まねで始めて、あくまで運動不足解消が目的でした。職場の近くにゴルフショップがあり、その頃有名だったプロゴルファーの兄が工房をしておられ、話をしたときに7番アイアンで150ヤード飛ぶようになったら教えてあげますよといわれ、一生懸命振り回していた記憶があります。中学、高校と軟式テニスをしていたので最初からボールは打てましたし、空振りというのは殆ど記憶にありません。その後、父がコースに誘ってくれたのでゴルファーデビューとなりました。確か50台前半でそれぞれ回れたと記憶しています。

これがゴルフにはまったきっかけでした。

賭け事はしない、パチンコは煙草を吸わないのと音がうるさいので嫌い、マージャンは時間が長いと、一般的な付き合いは苦手でしたが、時はバブル入口から絶頂期へと進んでいくなかでゴルフは仕事の上でもプライベートでも大変有効な趣味のひとつとなりました。しかし、若年サラリーマンでは経済的に年に何回かゴルフに行くのが精一杯で限られたラウンド数でした。仕事や子育てに忙しく腕前は少しずつしか上がりませんでした。道具もドライバーのヘッドがパーシモンからメタル、チタンへと変わっていく時代でした。

生活に少し余裕のできた2000年に、あるゴルフ倶楽部のメンバーになり、そこからそれなりに練習とラウンドを重ね、2010年にシングル認定となりました。私の所属倶楽部では、シングル認定を受けるにはハンデキャップが10になったときから1年間に50ポイント以上を取得する必要があります。つまり、月例会や研修会で優勝すると10ポイント、2位だと5ポイントなどとポイントが決められており、これらが加算されて1年間で50ポイント以上になると倶楽部のハンデキャップ委員会に諮問され、認定プレイを経て承認されるとシングルプレーヤー認定書が授与されます。

シングルになることは目的の一つでしたからとてもうれしかったのですが、その直後に身体の異変に気付くことになります。


パーキンソン病 冬支度

今日は最近では一番寒い日で、朝起きると室温は14度。前日の天気予報で朝方の気温が9度ぐらいになるというので夜に毛布を出してきて完全に冬支度を整えた。

パーキンソン病というより、もともと痩せ形で、身長175cmで体重60kg、ウェスト76cmのためか、若い時から寒さにはとても弱い。

この病気になって震えがでて、寒くなると特に状態が悪くなる。人は身体が冷えるとガタガタ震える訳だけれども、この病気では少しの温度低下で症状がひどくなる。

で、冬はこの病気の自分にとってとてもつらい時期で、お金があればこの時期は暖かいところへ移住したくなる。

というわけにはいかないので、早々と着るものも冬支度で、ゴルフ用の厚めインナーウェアを着て対策するしか今のところは方法が見出せない。

世間はハロウィンで、薄手のコスプレで闊歩している若い人たちを見ると羨ましく感じる。